作品が売れてるとか売れてないとかはあまり気にしたことがなくて、そこは関係なく刺さるものは刺さる。作り手としての私の場合は、私の伝えたいことを届けたい言葉をちゃんと使えてるかなーとか、目の前のひとの哲学や尊さを受け止められているかなーとか、少女性をきちんとまもれてるかなーとかが物凄くたいせつで、それが私の中で納得いくように完結できるかどうかを最重要視していた…つもりなんだけど。まあ第三者から、作品レベルは近いのに世間的には誰々より売れてない~みたいな事実とか話されると普通に動揺する。もう死ぬほど狼狽えるし、なんか生きててすみませんって恥ずかしくなるし、引きずっちゃうし、いやたぶんこれが誰かわからんやつにわからされてたらフーンでおわるけど。なんていうか、ふつうにそのひとは知ってる人で、てか私のファンだと言ってくれてる人で。今でもそう。思い出してもそう。
あと全然悪気なかったのと言葉の綾なのはわかってます。傷ついてすみません。
変な話、売れたいと思うのなら他のやり方はあるんだ。売れるための努力の仕方だって売り込み方だってあるし、でも、私が本気でそこを目指すと、これまで私が正しいと信じてやってきたことのいくつかは逆に「やらない方がいいこと」や、さらには「無駄なこと」に転じたりもする。そのあたりで何回も悩んできた。私はなにがしたいんだろうって考えてきた。死にかけた。
ナナちゃんあんまり宣伝しないよねとか宣伝するの下手くそかってたまに言われるけど、正論すぎて言い返す言葉を持てない。
でも「売れたくないし云々」とか言って誤解されにくいのは本当の有名作家だけで、それ以外は単なる負け惜しみか努力したくない言い訳か、または向上心のない人間だと思われてしまうことがある。難しい。
バズることよりたいせつなことってあるじゃないですか。例えばきみの隠してる少女性を絶対に認めることとか。
私にとって、絵も小説もその他も、なんというか表現の過程にすぎないのかもしれない。すぎないとか言っても、勿論ぜんぶ本気の激情だけど。
私という人生芸術のどこか一部に好きな色を足していく手段。あとは、だれかのことを、大切なひとをまもるための手段。絵で売っていきたいとかなんか、そういうタイプとはまた違うっぽい。うまく言えないけど。どっちがいいとかでもないけど。
目の前のひとの手をぎゅっと握って、きみの地獄だってかわいいよって、一緒に生きようねって誓って、すこしでも悲しいひとや、少女性を迷っているひとなんかの背中を押す手伝いができたらと思っている。長い人生のほんの一瞬でいいから、私のピンクを通過させて、たった1秒を彩れたら、それだけてとてもうれしいし、私は生きられる。
ここまで書いて気持ちに整理をつけたかった。
前述の売れている某作家より、売れていない私のほうに傾倒するって、それってつまり、商業を目指す気のない、より手が届きそうなほうが私だったからなんじゃないのかな。アイドルだって会えるから推すとかあるじゃん。頭の中ぐちゃぐちゃになって、しばらく「ああああああ」しか文字打てなくてとりあえずお風呂に入った。
終わったことなのに、お風呂場でばかみたいに泣いていた、私の髪はピンクだから浴槽に浮かぶと誰のかすぐにばれてしまう。薬を飲んだほうがいい病院行ったほうがいいって言われて私は病気なんかじゃないって喚いていたとき、なんかめっちゃ、めっちゃみじめだった。
病院怖いから行ったことない。私は病気なんかじゃない。芸術をしたいだけ。
ちゃんと人を、芸術を、すきになりたい。
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