地獄はピンクじゃなかったし蜘蛛を助けてもお釈迦様は見てなかったし、でも人生って結構そうじゃないですか? 仮に人の命とか救ったとて多分お釈迦様見てないし。やだなー私のこと見てよ。神様はあんまり信じていませんがお釈迦様はわりと信じています。世界が理不尽であればあるほど。
まあそういう前置きはいいとして、以下はちょっとだけ真剣に考えて書きました。創作に関する考え方みたいな。だってね今バリバリに作品とか発信してる時期だからねそういうことたくさん言葉になっちゃうんだよねよかったら読んでね🍓
何を書いていても思うことで、私を構成するものの根本にはいつも「祈り」があるような気がします。世界が終わるまで祈れ、ってよく言ってるんですけど、どうしようもなくなっても最後の最後の最後の最後の最後まで諦めたくない。生き延びるつもりで愛してるを口にします。
私の言葉とか生き方とかに救われたって言ってくれる人まあまあいて、でもむしろ私がそう言われるたびに救われています。少しでも人を救えているということが私にとっての救いです。救いたいだけ救われたいよ。っていう可哀想なナナを救済してあげるつもりでナナに永遠絶対救済されててください。
こんな話ばっかりしてたら昔の話だけど偽善者クソビッチとまで言われたことあるよでもだって仕方ないじゃんね世界救えるって本気で思ってんだもん。ね。
文フリに出すためにも詩とか小説とか書いてると特に、本になるような作品を仕上げる前後は色々考えちゃうんですよ~。私の本はなんというか、その瞬間 "だけの私" を封じ込めたカプセルみたいなものだと思っています。よく創作物の比喩として言われている「自分の子供」や「自分の分身」とはまた違います。少し不謹慎な言い方になるけれど遺影に近いのかな? 例えばもう二度と来ない「2019年1月のナナ」の遺影、もしくは遺言。そういう感覚です。技術や感性はどんどん更新されていくから。遺物は好きに摂取してね、あなたが受け取ったその本の私は永遠に2019年1月の私だからね。みたいな。
私にとって文学って実はめちゃくちゃポップでかわいいものです。かわいいんだよ。とてつもなくキラキラしていて、それが私の生きる方角なのかなあとか思ったり思わなかったり。
とりあえず今の夢は美しいピンクの地獄を見つけることです。美しくなければ生きていたって屍だよ~
じゃあねやっぱ全部嘘だよ💗🎀
(画像はパステルガールさんでつくりました)
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