私のテーマはKAWAII絶対救済だけど、弱者救済とかそういったものとはまた違って、そっちは好きになれないんだな。本当にただの私の我儘に過ぎない話、きちんと知りもしない他人を弱者だなんて括りたくないと思っている。
同情に関しても似たようなもので、「わかるよ」と全てを込めて言えない。例え過去にその人の悲しみと同じ経験をしたことがあっても、重なり合うのはほんの一瞬、その「事実」だけ。これまでの人生、思想、交友関係、その人と私とでは全てが違うのに、ひとつの共通点だけで相手をわかった振りはしたくない。それならば涙を流さず、可哀想だなんて言わず、ただ「そこにあったことを受け止める」側の道徳観を大切にしたいと思っている。一緒に涙を流すことはできなくても、その代わり、何があっても相手を笑ったりしないし、生きる方にいる限りずっと見ていると決めている。
自分だけがこうなのかと苦しんでいる人には「私もそうなったことがある」(から大丈夫)とよく言ってるし、意見を聞かれればわかる/わからないも普通に言いまくってるんだけどね。それわかる~! でも、かわいそうだねつらかったねをエッセンスにしなくても人間は美しいから。私にはそう見えるから。一緒に痛がることはできなくても、生きる痛みのその先を、手を繋いで一緒に見たい。そんな感じです。
🎀写真は最近飲んだかわいいドリンク🎀
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