辻斬りのように突然思い出した昔の話をします。
美味しいものが食べたくて軽井沢まで行ったことがあります。突然思い立ち、翌々日に出発しました。泊まった小さなホテルは平日の妙な時期で人も少なく、私の他には2組だけしかいませんでした。案内されたのは予約していたよりもずっといい部屋でした。外の白い階段を上がるとどこにも隣接していない私のためだけの部屋がありました。ホテル最寄りの信濃追分駅に提げられていた「ようこそ美しい村へ」という看板を思い出しました。ここが私の美しい村なのだと確信しました。
1人で外泊が寂しかったので家から人形を連れてきました。今でもその癖はあります。そのときは60~70センチくらいある人形の柔らかい身体をプチプチに巻いてキャリーに詰め込みました。人のかたちをしている方がおばけが出たら守ってくれそう、という無責任な理由で超親友の孤独ピンクちゃんはお留守番になりました。
1人で使うには部屋がひろすぎて、隣のベッドを人形に使ってもらいました。鞄に入っていた万年筆でホテルのメモ用紙に詩を書きました。どこよりも美しい村のことを絶対に忘れたくなくて書きました。そのボロい走り書きを掘り起こし、手直ししたものが「絶♡対♡革♡命」という詩集に収録されている「Nature Morteに似た色」と「魔力」です。第6回文学フリマ大阪で頒布しました。「魔力」には挿絵として信濃追分駅の切符を描きました(日付は決定稿を仕上げた日に合わせた気がします)。今でもそれは私のお守りのようで、スマホカバーの裏側に生きています。
あまりに突飛な2日間でした。私にとって青春時代のあこがれ、見知らぬ大先生である堀辰雄先生の「美しい村」の舞台が三ツ星ホテルのつるや旅館だったということすらあとから思い出して後悔しました。一応「木の上の十字架」に出てくる聖パウロカトリック教会はきちんと行きました。先生が生きていないことが悲しくて泣きそうになって帰りました。教会の箱にお金を入れながら本気で世界平和をいのりました。でも、なにせご飯が食べたい旅行でした。足腰だけは丈夫で色々なところに歩いて行ったのですが、話す人話す人に「それは車で行く距離だよ」と言われて笑ってしまいました。調べたら目的地まで10キロ以上離れている場合でも歩いていたことがわかりました。そこでようやく各所にレンタサイクルがある理由を納得し、次は絶対に使おうと決めました。
そういえば1日目夜に行った海鮮料理屋さんの店員さんが明らかに1人客の私を2人連れのように扱ってきた話ってどこかでしましたっけ。私は何も見ていないので、これはなかったことにしたいです。
どうして今になってこんなことを書こうと思ったのか自分でもわかりません。今だから書けたのかもしれません。これまで軽井沢に旅行したことも、美味しいご飯を食べ倒したことも誰にも言いませんでした。海鮮料理屋さんの話だけは近場で起きたことのようにあらゆる友達に話しました。
最後の夜にお洒落なお店で食べたチーズの帰りたくない味をずっと覚えています。私の美しい村で理想郷でした。一生分の永遠をかけてもあの場所で永遠なんて見つけられない気がするよ。
"我々ハ((ロマン))ヲ書カナケレバナラヌ。"
目の覚めるような先生のありがたいお言葉です。私の座右の銘はきっとこれなんだと思います。
その2年後に新宿に対しても似たような感情を抱くのですが、それはまた別のお話です。
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